森本洋平会長ブログ.com
2012/03/21(水) やり過ぎもまた
◆最近「欠伸」がよく出るような気がしてなりません。緊張感がたりないのでしょうか、それとも春の 声に自然と体が反応しようとしているのでしょうか。いやいや、きっと血液や脳に十分酸素が供給されてないのかも知れません。
◆しかし、酸素不足は私の頭だけではないようで、今の政治なんかも酸素不足のように感じます、そうかと思えばお隣の知事は酸素過剰気味とも思えるような政策をガンガン出していますが、”なんとか48”のような過呼吸状態にならなければと心配いたします。ラグビーにはオーバー・ザ・トップというぺナルティーがあります、日本語で「倒れ込み」と云いますが、やり過ぎとの意味です。
◆中国は中高生の歴史教科書と云うべき「十八史略」や、宮城谷さんの中国歴史小説などを読んでみますと総じて戦乱の歴史のようで、特に春秋戦国時代は戦いの歴史のようです。凄いのは、その戦乱の中で自然と戦いのルールみたいなものが出来上がっていたようです。感心するのは完膚なきまでの勝利を求めないところが見事です。行き過ぎる勝利は国土を崩壊させるかららしいのです。
◆確かに何も決められない政治を見ていると、少々乱暴でも何かしてくれそうな強烈な個性に期待したい気持ちは分からなくはないのですが、あまり無理をしたり、独りよがりゴリ押しの政策は如何なものかと思います。もう少し冷静な判断が必要ではないかと思いますし、三年たって振り返ってみれば格差拡大、弱者置いてけぼりみたいなことになっていなければ良いがと心配いたします。
◆加えて、今のメディアもどうしたことでしょう。朝のワイドショウ番組を見てますと、何処の放送局(民放)でも同じニュースばかり流れていて、全く個性がありません。あれだけ日本の政治や教育に個性がないと批判されているのに、放送局が最も個性がないのではないでしょうか。しかも、やたらCMが長くなっていると思えてなりません、関係者の給料はよほど良いんでしょうかね。
◆内容見ても、旅行か、食べるか、クイズか、はたまた政治批判の討論番組か、金太郎飴みたいですね。放送局は四つも五つもいりませんよね、せいぜい二つもあれば十分のような気がいたします。えッ、気に入らなければ見なけりゃ良いじゃないか、と言われますか? もっともですね、すみません。ではまた。
◆今日の言葉 「骸骨の上を装うて花見かな(がいこつのうえをよそうてはなみかな)」
美しい着物で着飾った女性がお花見をしていても、いつか骨になる時は来るんだぞと言っている。この歌は、上島鬼貫(うえしまおにつら)という俳人の作で、「煩悩あるゆえに衆生であり」と「衆生ありて煩悩あり」の逆を言っている。人と云うのは煩悩あるが故だと言いたいらしいのですが如何でしょう。
私なら、「骸骨に羽二重着せて花見かな」と綺麗に纏めたいと思いますが。