森本洋平会長ブログ.com
2011/02/07(月) この世は振り子
◆私が小学校低学年(50年以上前)のころの時計といえば、柱時計が一般的で今のようにクオー ツ時計やデジタル時計のようなものは有りませんでした。
◆大きさの大小はあっても動く原理は皆同じで、文字盤の下にあるゼンマイ仕掛けの振り子がカチカチと揺れながら時を刻むという原始的なものです。そして何日か毎にゼンマイをまき直す作業が必要で、時刻の狂いは振り子の長さを調節して合わせるというものでした。何となくのんびりした代物でした。
◆今、世の中を騒がせている事象をよくよく考えてみると、この「柱時計」の振り子に似ているような気がしてなりません。鳥インフルエンザにしても恐らく何年か何十年かの周期で色んな要因が重なって発生しているようですし、新燃岳に限らず火山や地球的規模の気候・地殻変動も一定周期で活発化するようです。
◆では、人に起因する事象はどうでしょうか、またも出てきた八百長事件に揺れる大相撲をどのように考えるべきなのでしょうか。私は日本相撲協会に対しては好意的な人間の一人ですが、「稽古リンチ事件」にはじまり、「薬物事件」や「野球賭博事件」そして今回は「八百長事件」へ発展、こんなにも次から次へと時計の振子以上に早く振れると、弁護する気持ちも無くなってしまいます。
◆人の力では限界のある自然相手の事象と違って、人が行う行為は最終的には全て「信頼と信用」からはじまると思うのです。その前提が無くなれば必然的に誰も相手にしなくなることは明白です。相撲の仕切りは裸一貫、身に寸鉄も付けていないことを相手に見せることだと言われています。原点に帰りましょう。
◆そして昨日行われた、愛知県知事選挙、名古屋市長選挙、住民投票条例のトリプル選挙の結果を、どう受け止めるべきなのでしょうか。一昨年の政権交代へ振れた振り子が、時を経てローカルパーティー目指して振れて行こうとしています。根底に流れる国民の気持ちはどのように動いているのでしょうか。
◆少なくとも政権交代時の、「無駄を無くし、無駄削減の原資で改革する」という約束が実行されてない、政策の前提が無くなっているように思えてなりません。加えて、外交政策などを見るにつけ、今国民は強烈なリーダーシップを欲していると思われますし、端的に言えば強い日本を願望しているのかも知れません。
◆今日の言葉 「人木石に非ず(ひとぼくせきにあらず)」
人というものは、木や石とちがって、喜怒哀楽の感情があるものだということ。世の中、中々割り切れるものではありません。自分で良いと判断しても相手からは良く思われないこともある、人間は所詮「感情の動物」なのでしょうか。
(森本洋平)