森本洋平会長ブログ.com
10/08/05(木) 地域力を
◆私が小さいころ、長屋といわれる鰻の寝床のような借家で、細い路地を挟んで十数軒の家族が生 活していました。夏になると夜は路地に床几を出して夕涼みがてら、蚊取り線香を焚きながら世間話に花が咲いていたことを思い出します。
◆勿論、各家に風呂などなく町の銭湯へ行くのですが、ここでも近所の皆さんが集まっての世間話で情報交換を行っていたように思います。たまに珍しい食材などで料理が出来ると向かいの家に持って行って食べてもらうこともあります。
◆他にも、散髪屋さんや、買い物先での会話など、自然に長屋文化みたいなものが出来ていたように思われます。また、こういった地域情報社会に入っていないと助け合いの関係も生まれてこなかったのだと思います。
◆ここ数日、高齢者の方々の行方不明のニュースが大きな話題を呼んでいるようです。ニュースキャスターの方々は、行政は何故把握できないのか、何故放置していたのかといったと批評をしているようです。私に言わせれば行政が全てを把握など出来る訳がなく、行政の責任だけにするのは酷な気がします。
◆日頃からの地域のコミュ二ティーづくりが重要であって、そのアシストを行政が行うのだと思います。法律的には地域に配置されている「民生委員」の方々の協力を得ながら日常の地域住民の生活状況を把握することだと思います。
◆高齢者の不明問題だけでなく、一般の行方不明者は数的には数倍に上り、相当多いと思われますし、もっと言えば身元不明遺体も兵庫県だけでも恐らく年間数十人に上るのではないかと思います。このような方々の身元確認を解決するには行政の力だけでは限界があります。地域での日常の世話が重要と思います。
◆加えて、このような不明者の確認が出来にくいという裏に、「個人情報保護法」なる法律の壁があるように思えてなりません。高度な情報社会と言われているが、人間同士のコミュ二ティーを築くことを忘れてはならないと思います。
そして、最も危惧することは、個人主義の進む地域社会でボランティアとしての、「民生委員」の成り手が無くならないか非常に心配されます。
◆今日の言葉 「石に布団は着せられず(いしにふとんはきせられず)」
死んでからでは親孝行できない、生きているうちに親孝行せよという教訓。ここでの「石」は墓石のことで、墓石に布団を掛けても親孝行にはならないという意味。大概、親孝行しなければと気づく時期は、自分が親になって初めて判ることが多い。「子を持って知る親の恩」心配かけないことが最大の親孝行です。
(森本洋平)