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連合兵庫2008平和の集い

連合の夏は平和の夏 080712heiwainsanda040.jpg

連合兵庫2008平和の集い in 三田 盛会裏にひらく

◆連合兵庫は7月12日(土)、三田市まちづくり協働センターで 『2008平和の集い』をひらきました。集いには構成産別・地域協議会・兵庫高退連などを中心に約200名が参加、語り部の体験談に耳を傾け、平和の尊さを噛み締めました。

【戦死者の碑へ参拝とオリヅル献納・献花】 

080712heiwainsanda001.jpg ◆集いに先立ち、当日10時過ぎから 『戦死者の碑』へ参拝するとともに、オリヅル献納 080712heiwainsanda004.jpg と献花をおこないました。(※当初は集会参加の方々から多数にご参列いただく予定でしたが、碑は戦闘機の墜落現場に建立されており、現場の状況から多数参列は危険と判断、組織代表の方々のみで行うこととしました)

陸軍中尉 深瀬太三之碑

  三田市の三輪地区に空襲があった1945年7月19日、三田山中に日本陸軍戦闘機が墜落しまし 080712heiwainsanda003.jpg た。操縦していた深瀬太三陸軍中尉は即死。

  婚約者の阪本喜美子さんが41年後に亡くなった場所を探しあてたところ、付近の農家の梶屋さん夫妻が木の墓標を立てて守っていました。現在の石碑は、阪本さんが私費で建立したもので、石碑の裏には阪本さんがはじめてこの地を踏んだ時の思いが歌になって刻まれています。

「風吹けば 鳴る笹の葉の 音かなし  われにささやく 声のごとくに」

  なお碑は、現在は『集い』に語り部として登壇していただいた乾丈一(兵庫高退連役員)さんをはじめ地域の老人会を中心メンバーとするボランティアの手で守られています。

【平和の集い in 三田】

◆集いは午後1時、土肥:連合兵庫事務局長代理の司会で幕を開け、オープニングに津軽三味線 『愛山会』の勇壮哀切な演奏がありました。(語り部による『被爆』『空襲』『軍役』体験談が企画されて 080712heiwainsanda016.jpg いる中で、のこる『北方領土』は『愛山会」の演奏に託そうとの思いから、北海道から東北にかけて民謡が奏でられました。出演者は『会主:小沢鉱栄・小林佐知子・俵春菜・吉野正人・入江峰子』の方々)

◆高西:連合兵庫副会長(国民運動委員長)が開会あいさつに立ち、「沖縄・北方領土の悲劇から63年目を迎えますが、先の 080712heiwainsanda034.jpg 連合平和オキナワ集会には例年に以上の参加者あり、戦争の帰国が風化していないという実感を得ました。本日の連合兵庫独自の平和の集いは、一昨年の姫路集会につづいて2回目となります。現在も世界は戦火の絶える暇もなく、不安定極まりない状況であり、平和運動の重要性はますます高まっています。わたしたちの平和への歩みは小さなものですが、たゆまず進みつづけていきたい。今年もまた、まもなく北方領土一括返還を求める平和集会がひらかれますが、積極的なご参加を期待しています。」

◆つづいて主催者を代表して森本:連合兵庫会長が登壇。

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連合兵庫会長
森 本  洋 平

◆ごあいさつの前に、ある短いメッセージを朗読させていただきますので、お聞き下さい。

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  わたしたちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れていません。
  あの日、街は真っ赤な碑の海となり、何もかもが焼かれて無くなりました。
  川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙も出ないほど、心と身体を傷つけられました。

  眼も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。
  あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。
  これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。

  しかし、原子爆弾によって失われなかったものがあります。
  それは生きる希望です。
  祖父母たちは、廃墟の中、心と身体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも生きる希望を持ち続けました。

  多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。
  そして、今、広島は自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。

  今、テレビや新聞は、絶えることがない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるか、一日一食たべられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。

  そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や身体を壊しています。
  嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。
  でも自分の受けた苦しみや悲しみを他人にぶつけても、何も生まれません。
  同じことがいつまでも続くだけです。

  平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。

  途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。

  私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。
  私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
  そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。

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◆このメッセージは、昨年、広島の平和式典における、子ども代表の『平和の誓い』です。
  今年も8月15日の終戦の日を迎えようとしています。わたしたちの思いの全てが、このメッセージに凝縮されていると思います。

◆平和と人権は表裏一体のものです。人が武器や兵器を持って同じ人間を殺せと教えるはずがありません。それは破滅の道を歩むことになるのです。
  共に支えあって生きていくことの大切さは、誰でも知っています。

◆先の大戦での多くの犠牲を無駄にすることなく、『戦争の悲惨さ、平和の尊さ』を語り継ぐことが、わたしたちの責任であり、未来への貢献でもあると思います。
  今年は、「沖縄の平和行動」に例年の倍以上の方々の参加があったと伺いました。これからも多くの若い人たちに知ってもらいたいと思います。

◆今日の集いを契機に、平和のメッセージが、この三田から兵庫県から発信できるよう記念申し上げまして、主催者を代表してのごあいさつとさせていただきます。


◆来賓として出席いただいた、竹内:三田市長から地元を代表して歓迎あいさつがあり、「連合兵庫の平和集 080712heiwainsanda044.jpg 会が当地で開催されることを心より歓迎いたしますとともに、連合兵庫の平和に対するご努力に深甚なる敬意を表します。世界情勢が不穏の一途を辿りつつあるかと危惧される中、語り部の方によって戦争の悲惨さが語り継がれてゆくことはたいへん意義深く、また戦争を知らない世代が増えていきつつある中にあっては、このような企画は非常に有意義なものだと感じています。当三田市においても、毎年8月には『平和を考える週間』を設定、平和都市として世界に発信しつづけていきたいと思っています。」と述べ、共感の拍手を浴びました。



【平和への思いを込めて、語り部の方から】

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◆『紺碧の空に散った青春』
  三田で空襲を受ける。今も地元の戦死者の慰霊碑を守りつづけて。
       乾     丈 一  氏
          (兵庫高齢・退職者連合 役員)

 

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 ◆『戦時の少年期を語る』
  激戦地北部ルソン島の山中をさまよい、九死に一生を得る。
      森 田       勝  氏
         (全日本自治体退職者会兵庫県本部 会長)

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◆『原爆の悲惨さ、恐ろしさ ~平和の尊さ~』
   被爆体験・長崎の原爆被爆者の方より。
      和 田   耕 一  氏
   080712heiwainsanda080.jpg        ((財)長崎平和推進協会 継承部員 (前継承部会長))
 
 <資料説明>
      山 本   真由美  氏
        ((財)長崎平和推進協会 事務局員) 

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◆(財)長崎平和推進協会からお借りした原爆被害の写真パネル。希望があれば、貸し出していただけるとのこと。
◆TEL  095-844-9922

 

◆全てのプログラムが終了し、辻:連合兵庫事務局長が閉会あいさつに立ち、「語り部の方々に心から感謝 080712heiwainsanda088.jpg します。体験者の口から直接お聞きする”戦争”は、極めて迫真力に満ちており、わたしたちに戦争・平和というものを考えさせずにおかない力があったと思います。お帰りになられたら、是非ともこの集会で得たところを、ご家族の皆様と語り合っていただきたい。平和に対する意識を高く持って、こんごも活動をつづけていきたいと思います。」

080712heiwainsanda077.jpg ◆土肥:連合兵庫事務局長代理から、「この会場から出られる時、受付で『オムスビ』を  もらって帰ってください。この会場は飲食禁止なので食べていただけませんでしたが、戦時中を偲ぶべく業者の方に無理にお願いして麦飯のオムスビを作っていただきました。戦争の悲惨さ、平和の尊さを思う縁にしていただければ幸いです。本日はありがとうございました」と紹介があり、集会の幕を閉じました。