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連合兵庫「06平和のつどい」ひらく

この悲しみと怒りを永遠に語り継ごう


連合兵庫「06平和のつどい」ひらく


060722rengo-hyogoHEIWAnoTUDOI008.jpg連合兵庫平和つどいを、7月  22日(土)、姫路市文化センターでひらきました。構成産別と地域協議会から約150名の参加を得、61年前の悲劇を再現する語り部の方々の話に、熱心に耳を傾けました。また、つどい終了後には、参加者全員で近くの姫路市平和資料館を訪ね、高西:連合兵庫国民運動委員長が代表して千羽鶴を献納するとともに、展示コーナーを見学。姫路大空襲の惨状を目の当たりにし、戦争の悲惨さを心に刻みました。

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集会は土肥:連合兵庫副事務局長の司会ですすめられ、冒頭に高西:国民運動委員長が開会あいさつに立ち、連合の平和行動スケジュールを紹介したのち、「戦争の世紀と言われた20世紀から21世紀に移っても、世界に戦火は絶えない。そういう状況下での『つどい』であることを認識し、わたしたちが職場や地域で平和を希求する活動を起こすことが、世界平和に繋がると信じ、たゆまぬ努力をつづけていこう」と述べ、つどいの幕を開けました。

060722rengo-hyogoHEIWAnoTUDOI005.jpgつづいて、北条:連合兵庫会長が主催者あいさつに立ち、「毎年、連合本部主催の平和行動には代表を送っているが、こうして連合兵庫独自で平和集会をもつのは初めてで、みなさんと平和と命の尊さを噛み締めるつどいをもてたことは、たいへん意義深い。とくに当地、姫路は全国唯一の民間人犠牲者を追悼する慰霊塔があり、平和への誓いを新たにするにふさわしい地です。1人の1歩は小さいかも知れないが、絶望することなく腕を組みあって世界平和を1歩づつ積み上げていこう」と力強く述べ、共感の拍手を浴びました。
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また、来賓出席された石見:姫路市長から歓迎の意をこめて「世界遺産・国宝である姫路城は、その400年の歴史で戦争をしたことがない平和の城と言 060722rengo-hyogoHEIWAnoTUDOI010.jpg われている。また、当地には全国唯一の民間人の戦争犠牲者を慰霊する塔  があり、この街で連合兵庫のみなさんが『平和のつどい』をひらかれたことはまことに意義深い。戦争のない世界を目指して、ともに歩んでいきましょう」とあいさつ、加古:姫路市平和資料館館長が、平和資料館の紹介、民間人慰霊塔建設にまつわる苦労話などを紹介し、平和への思いを述べました。

 

 

 

 

 

 

戦争の記憶を風化させない・・・・・・語り部たちの命の言葉

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第1部『爆撃の恐怖・この世の地獄の現場』


語り手 田路  信一(姫路大空襲を語り継ぐ会アドバイザー)

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大戦当時、姫路には西に広畑製鉄所、東に川西航空機があり、軍需施設として爆撃目標になった。自分は川西航空機で働いていて爆撃に遭った。爆撃は何次にもわたり、はじめの2~3度は爆弾が破裂するたびに泣き叫ぶ声が聞こえたが、度重なると涙も声も出なくなり、ただお年寄りが念仏を唱える低い声だけが耳にとどいた。6次攻撃までは憶えているが、そこから先は記憶がない。なにがなんでも生き延びる、逃げて逃げ延びて生き抜いていく、との一念だけで戦火の中を生き抜いてきた。ここに戦争の悲惨さと、命の大切さをみなさんにお話して、平和のありがたさを共有したい」



第2部『戦争・被爆の恐ろしさ』


語り手 坪井    直(日本原水爆被害者団体協議会代表委員・広島県原爆被害者団体協議会理事長)

060722rengo-hyogoHEIWAnoTUDOI018.jpg81歳、癌です。年齢的に手術は無理なので、医師から放射線治療を奨められたしかし、放射線のために61年間苦しんできたので、それは受け入れ難い。そういうと医師は、これは人を生かすための放射線だから、受けろと。毎週病院通いし、日に5種類の薬を飲んでいる。そうしないと命が保てない。わたしは全国に散らばる被爆者の代表をしてるから、役目でしょっちゅう全国を飛び回っている。が、それも、原爆症の治療の合い間合い間にやってることで、生き延びるための戦いが人生の中心になっている。戦後61年が経つが、いまだに生き延びるための戦いがつづいている。それでもわたしは、被爆当時若かったから陸軍のトラックに拾い上げられて助かった。黒焦げの血みどろ状態だったが、手当てすれば戦力になると見られたからだ。女、子ども、老人は戦力にならないので、生きていてもゴミ同然に見捨てられた。それが戦争だ。その時の、怒りと悔しさに支えられていきぬいてきた」

 

 

 

【 昼食休憩 】
(お弁当は、麦飯のお結びでした。わたしは食べられませんでした。すみません。m(_ _)m 記者)

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第3部『元島民が語る北方領土』


語り手  河田弘登志(千島歯舞諸島居住者連盟根室支部支部長)


日本が第2次世界大戦の降伏文書に調印した2日後の1945年9月4日。旧ソ連兵が突然、 060722rengo-hyogoHEIWAnoTUDOI035.jpg 土足で家に踏み込んできた。家や漁船などの財産を奪われ、罪人のように根室へ。基盤を失った生活は苦労の連続だった。家も仕事もなく、根室は空襲で焼け野原だった。歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の北方4島は1855年2月7日、日露通好条約の締結で日本領土と確定した。その事実は、今も動かない。なのに、わたしたちは故郷に近づくことすらままならない。島の大小や、資源の有無でなく、国家の尊厳にかかわる問題でもある。これは、単にわたしやみなさんの運動としてだけでなく、国民全体の問題として取り組まれなければならない。約1万7300人いた「仲間」は次々と鬼籍に入り、現在は8200人余り。平均年齢は73歳。国や国民に、再び生まれ育った地に立ち、暮らす願いを訴える時間は、残り少ない」

 

 


参加者の感想より

(事務局の判断で匿名にさせていただきました)

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戦争というのは、人を人と思わなくなっていくので、怖い。

 


組合活動を通じ、世界のみんなが『しあわせ』に暮らせる世の中をつくるため、貢献したいと思います。

 


実際に体験した人から話を聴けることは、たいへん貴重でした。
 

 


戦争体験者のお話もさりながら、とくに北方領土の元島民のお話を聞く場はあまりないので、今回の企画は良かったと思う。

 


有意義なつどいでした。おにぎりも良かっ たし。

 

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わたしの仕事は、地域住民との触れ合いを大切にすることで成り立っており、そこには多くの笑顔があります。しかし、戦争はそういったものを一瞬にして奪います。わたしは戦争が二度と起こらないよう願いつつ、日々の仕事をし、家族と暮らしていきたい。